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イエローダイヤ・マン《標榜編》〔120〕秋山の会心の当たりに俺のこころもハイになる。みんなの希望を達成させうる処のバッターとしての力量がこうして示されるときに俺は即考する。この当たりに相当するのは文化人のなんに相当か?という提案で報道人でもいい。この件が解決されなければ国の向上はまずもって見込めない。ただ時代の風潮と組織の決め事に従ってこれまでの方法でいくなら成功軸は現われず、秋山の会心のヒットが前哨戦のカギを握ったこと、そして勝利の行方を方向付けたことにヒントを貰う。若い彼らの心も勝負は運だからね?っていう言葉で片付けられないシビア論を包括していて見る価値も抑える価値もあって、侍という言葉が含む意味に付いても同時進行で考えてしまう。八十四歳の老人が自分を侍と思い込み、まだ、自分の落ち度にさえ気が付けないでいる・・・。この現状は深刻で、すべての悪を網羅し象徴するこの豊洲の問題を見ていると、コトナカレ主義とヨキニハカラエ主義の両輪が見事に組み込まれていることに驚く。俺たちの世代がそれを非難しているだけで、一日を過ごせば膨大なリスクを背負うことにも配慮が要る。責任は限定されず、みんなに責任あり!!とするムチャクチャだが慎太郎が意図する通りになっていく構図だけは避けたい。俺たちは若い。もうそろそろこの怠惰の歯車から逃れなければ・・・。