サボりたい気持ちを等価交換

 サボリの名人だったあたしに今はその残骸すら見当たらないのは真人間になったからだ。真水を飲む人間ではない。真面目に生きるヒトのジャンルだ。しかし、サボリの美学を、過去極めたからこそ、知り得ない境地を示すことが可能。そこを魅力に感じついて来る人々がいる。サボりの中にはきっかけや気付きがあり、過去に於いても文学や音楽に深く浸透してきた。思い起こすと、孤高の極み。カネがあるとか、ないの問題ではない。カネは全く関与はなく展開する世界だ。サボリには哲学がある。人様は後ろ指を指し、君を非難しても、孤高の境地は奪われない。それは思想とは婚姻関係にあるからだ。つまり、ひとりではなくなったときから、点くネオンなのだ。