イエローダイヤ・マン《標榜編》〔48〕俺たちは複雑な世の中を生きているように見えて実は難しくしているのは自分たちの妄想だということに気がつく。そして人権に配慮するということは一体どういうことを指すのか?その辺りも気に掛かる今回のアスカの事件で、そもそも盗聴という原点を洗いなおしてみることも重要か?とすら思う。アスカは一芸能人なのだ。御本人も新調の楽曲をもう一回大ブレイクさせることを望んでいる。その気持ちのコンポンにあるのは社会復帰だろうし、被害を盛んにいう盗聴は本当になかったのか?俺はアスカの今後を考えるとそこがネックにもなるし、機転にもなると結論を出す。なぜ、お茶を濁したように今回の事件がお蔵入りになったのか、複雑にしているのはニンゲンの妄想なのでは?・・・と思える節があって、言葉を扱う俺たちに慎重さをみずから課してきていて、これはアスカからの借りかもしれぬ・・・と肝に銘じる。まるで、推理小説仕立てでことが終結したからだ。誰も今回の事件をもう一回紐解こうとはしないし、アスカ自身もこれから楽曲発表に専念かつ精進する素地が整った。俺は原点に帰ろうと思う。侮るべきではない妄想だ。芸術家にはもしかしたら、それと格闘する義務があるのかもしれない。俺たちとはレベルが格段に上の音楽的視野を持つ人類だからだ。