キャロルに芽生えた寂しい気持ちはきっと寂寥感以外にも何かあるのだろう。ライバルの出世が心底羨ましくてそこもネックにあるのだろう。彼こそが時代の精鋭。しかしそういう才の持つ嫌味や灰汁が彼には皆無なのだ。ばりばりの彼の出で立ちが自分をよりみすぼらしく見せるし、三万円のドコモのIDでとことんいびられ締め上げられて自分が惨めで仕方なかった。離婚も考えてしまう。そして一日かけて行く航路だ。なんていう大回り?ヨーロッパを経由していくのだろうか。詳しいことはわからない。昨日電話で話したが、辞令あって飛ぶまで三週間なかったから引継ぎ業務に追われていてゆっくり話を電話口でしている余裕はない。それで良かったのだ。なぜなら涙が出てくる。すぐにシゲルちゃんに交替してもらう。大抜擢でも喜べない主婦のワガママとそして母の疑心暗鬼。アマゾン川に行くことや、ブラジル民族との交流をそれはそれは楽しみにしている。そして現地スタッフや社長たちとの仕事熱。そんな息子にどうしても笑顔になれないとんでもない母・・・世の中の絶境にいるのはキャロル自身なのかも?ほなアメリカン幕の内お願いします。タクシーで 仕事に行くか 運転手付き 大抜擢の 裏で泣く母

出来ればニッポン勤務が母としては良かった・・・それがあいつの本音で昨日ブラジルへ発った日とあって、あいつのこころが暗かった。喜んでもいいのに!!と俺は心中を察する。女子は特にそうなのだろう。何かあっても行くのに一日はかかる。遠い異国に赴任というときキセノンも見ないままあいつは神妙な面持ちでいたのだ。俺も昨日だけは喧嘩すまいと思っていたが、ドコモの請求書が俺を爆発させてしまった。なんと三万もIDで使っていたのだ。俺は残高ゼロにして月末攻防することも視野に置いたがダメなことに気が付く。次の年金支給日だ。ここでごっそり引かれてしまう。どっちにしても夫婦であることが経済の荒波を一緒に被ることで他ならない。俺はそういう神妙な日だからこそ、爆発も小爆発にとどめた。夫のお蔭で飯を食えていることにまだ・・・気が付いていない。いやそこはわかっているのだろう。認めたくないだけ?無理して自分の羽を広げようとすれば軋轢は起こる。起こって当たり前。デルスカイしておこう。ブラジル青汁だ。

ルビー・ウーマン《ジーニアース編》〔182〕伯母たちはずっと母をこう揶揄しながら影で攻撃してきた。どうしていい教育を受けながらその伝統を受け継ぐことが出来なかったの?そういえば伯母の教えこそが森友学園にそっくりです。困ったときには助け合いとか胸を抉ってくるし、母も実はその教育で育てられた兆本人でしょう。しかしリズムはそうでも結局そういう思想で来た者たちは大敗を喫した。その結果が及ぼす甚大さにその頃まだ幼子は気が付いていません。両親が教育者でその範疇にいて物事の決定を怠らない限り人生では何とかいける!って。いいえ、むしろもっと冒険的だったかもしれません。若草物語です。キャロルの心を射止めたの本の存在は大きくて、屈することなく臆することなく自分の意見を堂々と述べる素地を作ることがやがて自分を自立へと導くことになる・・・日の目を見ることになる、おぼろげながら意識し思っていました。父を見ていると、自分の存在を周囲にわかってもらいたい一心で動いているように見えてならなかった。父にとっての先決は、敗戦を真摯に受け止めること。それがわかっていてもどうしようもないジレンマに陥る気持ち・・・今になってようやく把握出来ますが、当時はそう簡単に見えては来ません。ただ、印象にあるのは満ち潮になったとき赤ん坊は生まれるのよ!!と母が唐突にも言ったことでした。

イエローダイヤ・マン《標榜編》〔133〕俺が持っている文筆能力は高くはなく専門性もない。それがどういうわけか、みんなが安心する要素をかもし出していて俺が知らないようにみんなも知らないことだらけなのがすこぶる発展的なのかもしれず、俺の内奥は干からびた河童の頭上のように乏しいのヒトコトだ。しかし俺には固定的概念があって、そこが類友意識を呼び起こすのだろうか、ドミノ倒しならぬドミノ起こしになっている。これからのニッポンわ~などと口が裂けても言えない自分をひょうひょうと傍観する。ニッポンの選択と今後のすべてを握るのは政治家や有識者たちで、俺達はそこまで関与することはなさそうでそこに落ち着く。無関心とは全然違う。俺達は選択し、烏合の衆を標榜したし、無気力でもなんでもないがひとまず政治の決着を大人煩悩にも委託したのだ。どういう流れにあっても本流は変わらない。存在感を極めて今日ある者こそがテリトリーを分かつし、これから急ぎ合流する者だって同位だろう。政治の威信を架けて奔走しているようで実は空しいばかり・・・。昭恵夫人が私人か公人かを極める真摯な気持ちすらこの国にはなかった。つ・ま・りもっと大事なことがすかさず浮上している。専業主婦は家人なのか?それとも私人なのか?こっちの方がもっと有益な論点として浮上してきた。

これはサイト製作時にも生かせるぞ!!と昨日シゲルちゃんとの喧嘩で孫と二人になって静かに鑑みたことが効を奏じる。孫は闊達で最近横から頭突きをしてくる。自分の横の頭を使い責めてくるのだが、喧嘩してもシゲルちゃんの意識はやはり正常路線だったことに気が付く。なんと外車が入ってくる。自分が入れた場所は普通車の場所だった?慌ててしまうがもう遅い。課金が始まっているのだ。そのクルマは暫く待って十分くらいしてようやく入庫するがシゲルちゃんが言ってたことは当たってしまう。この駐車場は普通車と軽はそもそも料金が違うのでは?との予測だがそれは間違っていた。しかし軽ならやはり最初見ないといけなかった。軽と表示あるレーンに入れないとこうして普通車は来るしその時スッタモンダするのだ。喧嘩したことがツキを呼ぶ。彼にきついことを言いながら結構正常路線が大事なことに気が付くし、最初からバックで突入しなければならない場所がここには二箇所ほどある。厳密にいえば入り口の頭から入れる軽専用入れると三箇所。出来るならここもバックでが無難だろう。最も難儀は最奥だ。そこまで行って初めてバックで入場して来ないと入庫が無理なことに気が付く。それこそバーチャルなのだ。夜間最大三百円は長崎でも中々ない。

自分の投稿順番がここにシフトしたことを確認する脇田大佐だ。そして長崎に着いたら必ずここに立ち寄るべき・・・と唐人屋敷跡を薦める。そういう自分になれたのもここは中国とニッポンを決定的にし友好を現すラッキープレイスな場所。しかもミチ子の亭主は長らく大浦中学校に勤め華僑の子供達との交流も深かった。どんな問題が起こってもあの調子で明るく接してきたミチ子の亭主が脇田大佐にはほろ苦い。ミチ子を幸せにしてくれてありがとう!!今だからいえる。ミチ子の幸せは、娘である容子の大成を見てこの世を去ることではなかったことが証明されたからだ。可能な限り、脇田大佐はこの恩に報いたいとそう思う。福建省や華僑、そして湊公園。ここに来れば長崎のホントに巡り会える。平和のヘの字も要らないくらいに・・・。出航の 碇を震わす その音色〔西嶌姫瑠は恐らく、チャタレイ夫人の恋人をも抑えることだろう、よんどころない怒りを架ける、そのに園も架かる〕

なんで四十五年も厚生年金を支払ってきた俺が三年二ヶ月しか支払ってないあいつに怒られないといけないのかわからない。喧嘩の原因が十善会病院の前でユータウンするときだ。俺は前日とは違う場所を言った。正面玄関の坂入り口では危険だと踏んだからだ。しかしあいつは切れまくる。俺が指定した場所は救急車が止まる場所でそれにあいつがキレた。乗せてもらっているブンザイでブツクサ言うな!!とまあこう来る。本当にアラカンは恐ろしい。触らぬ神に祟りなしを俺は誓った。その前に止めたときには周辺を回って丸天をプレゼントしたが昨日はあいつをシカトして車へ近寄らなかった。すると帰り際イヤらしいことを言い出すのだ。二百円の丸天買っちゃうくらいなら散歩しないでいる方が節約主義にかなってるわよね~って。はっはっは!!の次女と組んで俺を虐めまくる。俺は隔日ダイレックスで大赤字に陥っているのにこのアリサマこの扱いだ。四十五年、厚生年金を支払っていても先は危ういということで胆に銘じてくれ。デルスカイしておこう。娑婆のアラカン要注意警報だ。