ルビー・ウーマン《復讐の館おさらい編》〔193〕このルビーウーマンをしたためるうちにもどんどん構想が湧いて来て、今のような宝石シリーズへ姿を変えていったのですが、自然な流れの本流にあるのは自分の人生を形に残したい!!っていう気持ちからだった。そういうのをこういう場所でやるべきではない!という方もおられるでしょう。そのことはわかっています。復讐こそが人間の根底にあってここを解明することも行く行くの指南かもしれずワクワクするのです。宝石は女性の心のみならず男性も心奪われます。誰もがそれに近いキラメキを自身の中に持っていて、しかし日常の歯車練磨の中で消えていくしかない。時間もなく味わい尽くす処まではいかない。しかし・・・きちんとしたためていけば次々に思い出すことも多いのです。諫早トランスコスモススタジアムにサッカーのカズがやって来てプレイをしたあの日、長崎空港で長女と語り合った朝の二時間を忘れません。彼女は二千円内で出来る親孝行をやってくれてその内訳を紹介しましょう。スタバでのモーニング、そして二回揉んでもらったマッサージ機上でのお隣同士の語らい。そして空港駐車場代。本当に二千円也で満喫を経験したキャロルで、この娘が長女でいたからこそ無事人生を歩んで来れたこと・・・圧巻でした。

イエローダイヤ・マン《標榜編》〔130〕バイキング方式にするのか、それともプレート式ランチでいくのか母は迷っていて、寮長のような人も別に雇う積もりでいるらしい。この寮長にふさわしい人こそ、チームリーダーであり、管理者だろう。各人の性質を読み気軽に迅速に要請に応じられる機敏さや社会的視野・・・。しかし理想ばかりをいってはいられない。人材と言うのはいそうでいないし集まらない。そういった不測の域も介入もあっておいそれとはいかない。俺はバイキングがいい!!と即座に思った。何をどう説明していいかはわからないがバイキングの佳さはやはり選べる贅沢感にあるだろう。そして残さないエチケットが稼働する。バスケット部活のときもバイキングか焼肉かが俺達の楽しみでいつも賜杯を左右したのはそういったご褒美で、みんながワイワイ夕食をわくわくしながら想像したものだった。ほっともっとでドラエモン弁当をわざわざ買いその容器を棄てず母は取っているという。いつかはそれもこども弁当になる。そしてここにビールがあったらなお助かるのにな・・・とすら発展する。この手の母族はおもてなしに関してはセミプロで俺の友達が泊まるときは必ずお好み焼きを焼いてくれて、舌鼓を打った友達の横顔に俺は感動する。決して母はプロではない、しかしお客を引き込む特別な技を持っていたのが天晴れだった。

デュエット・・・なんといういい妙味、しかも何と言う幅のある言葉だろう。例えばあの曲もきっと二人で歌えば華になる。あ~る日突然二人黙るの~そして次のフレーズを男が歌う。この瞬間にもデュエットの芳香こそはふわ~~っと舞い降りてきて我々の世代を優しくいざなう。いや、我々の世代のみではなく新世紀に生まれた者たちをも虜にするし、学生街の喫茶店も佳かった。確かガロというグループだった。親友は次の歌に嵌っていてそれにキャロルも強い感化を受けた。綺麗なコケティシュ女性だった。二十二歳の別れだ。この歌みたいに恋を失ったけれど、歌を聴くたび、あの頃に戻れる、あの頃の自分の純粋さを思い出して、なんだか悲しいけど初々しい自分に戻ってしまい嬉しくなるって。確かに時は止まらない。容赦もなく難題を突きつけて来る。しかし失恋というのはむしろ・・・時が止まった状態なのだ。だからこそ音楽が鼓動を始める。今ある音楽シーンの数倍の威力はあった当時こそ破竹の勢いと称すべきで、下駄を鳴らして奴が・・・のかまやつさんは最初は吉田拓郎さん曰く、気に入ってはいなかったという。その生生しい吐露には参る。かまやつさんは歌うたびに馴染んでいってそして感謝も芽生えていったのだろう。久し振りの拓郎秘話にじ~んとなったのだ。

エメラルド・ウーマン《深窓の令嬢ダブリュー編》〔18〕おとぎの部屋グループと知り合い、幼児絵本の開発者との巡り会いが里子の脳を主役活発にしていくのです。このグループは何をその本によって会得するのか、それぞれ違うという観点に立って押し付け撤廃に徹底していてそこが里子の焦点との遭遇をあらたかにしていったのです。なぜか?普通のボランティア意識では人々を動かせない時代〔酷竜の時代〕に突入していたのです。いい暮らしの出来るものはどんどん自前のケーブルで利益を得、しかし下働きの者たちは自分を酷使し過ぎてどんどん倒れていったのです。そういう格差の鬩ぎにいるもの達への配慮が里子には稀有の計らいに思えたし、もしもニッポンが貢献出来るのならそういった分野だと探りを入れていたこともあって、食糧難から難民を救ったあとのカリキュラムが世界各国に課せられた任務だったのです。彼らへの教育が一極集中したり、無差別混乱を招いてはいけない、持つべき信念とは世界各国共通事項として何に照準を当てていくのか?恐らくみんなが助けたくない気持ちに陥ることこそが地球危機を未来予知していて、絵本グループは重要な任務を包括していたのです。

まじめにコツコツ頑張っている奴が人生の覇者になれないなら地球規模でガタガタになるし、俺のキセノンの参勝目が気持ちをハイレベルにする。俺がもっともケシカランと思った大相撲語録は琴奨菊の言葉で、なんと千勝を記録したある力士を超えたいといったとき。俺の大相撲魂がキュイーンと鳴った。ええ?そんなことをいってもいいのか?俺の尊敬する力士を超えたいとシレっといったことが実際カチンときた。言葉の重さはこの辺にあると実際思う。九州の名力士として精彩を放った彼の千勝はそうヤスヤスと誰に彼に破られてはならぬもの、俺の相撲歴史のクリップなのだ。そういう意味でも大相撲ダイジェストは言葉に重きを置く俺だ。今場所はキセノンは見ていて安心感があって、決め細やかな守りが出来ているので安心だ。何しろ睡眠時間が少なくてそれを昼寝がカバーしているという。昼寝をここで推奨したい。真夜中に多く眠ろうとするからアブハチ獲らずに陥るもかもしれない。デルスカイしておこう。昼寝テントだ。

サファイア・マン《緻密な男編》〔125〕帰り際、病室から去っていく母の後ろ姿をみながら当時は及びもつかなかった背景を年代感覚で追っていきましょう。母は1938年どういう生活をしていたのか?お手伝いさんがいて、まだ戦争も始まっておらず、様々な衝突はあるものの真珠湾攻撃の前・・・母の生活は子女の生活に近かったと思うのです。中佐の父とそして兄姉、妹と自分。そして西暦1988年度、五十年経ってどう変わったでしょう。母はもはやどこの馬の骨かもわからない域まで落ちてしまっている。しかしこの趨勢を見るときに気が付かされるのは、どんなに時代が反転しても女性は一定の尊厳を自分で確保しているという事実。何だか勇気を貰えるし、中佐の時代が長かった脇田大佐の気持ちも同時に伝わってきます。偉くなっていくということは自分が率先して死ぬということだが、それを三人の娘たちに教えたり酷使はしなかったという背景で、そのやり方が逆に母を雄雄しくしていったという実景で、何しろ人様に頭を下げたことの無かった母がどこで、自分のプライドを温存していったのかその背景をやっとキャロル六十にして読み取るのです。母の年代をこうして超えることで見えて来た視野。この1938年の五年後、シゲルちゃんは生まれ貧乏の時代を過ごす。食い物にありつけずひもじい気持ちが一日の大半を占めるのです。どんなに歴史を呪ったことでしょう。

イエローダイヤ・マン《標榜編》〔129〕小久保アタックが見事に的中して俺はこの監督の幸運さに酔いしれる。1970年から1975年までに生まれたという第二進人類だがここまでハッスルされると奇跡の意味もふんだんに中身を替えているとそう思う。最近、この奇跡もやばいと同様に懸念を抱かせているというのだ。やばいの多用と共に奇跡の連発もいけない兆候だと・・・。じゃあ、ホンモノの奇跡はどうなるんだ?しかも奇跡というときはそんじょそこらにないものを表現するときのみなはずだ・・・と。しかしそう堅く縮こまるような大袈裟案件ではない。奇跡そのものをやってのけた小林捕手だ。彼が今回ラッキーボーイという大役をしかと体現し、我々が思いもよらなかったそういう結果をイケメン手法で引き寄せてくれた。この侍ジャパンの快挙の裏では、意外なことは高水準として内奥されていることも一気に鑑みていたい。何しろ大谷が突然出場不可能になった時点だ。あの時点で、ここまでの快進撃は想像だに出来なかったし、危機感が充満したことが快挙に繋がった。大谷の穴を全員で埋めたのだ。その最高司令として小久保ジャパンの長老である権藤さんも精彩を放ったし、他のみんなも一局集中した。ニッポンやるじゃないか、棄てたもんじゃないわ、俺たちの現場もこの感覚でいこうぜ~~そういうファイトを貰った♪