私が発言したことは、必ず、精査してくれる容子に最近は根性が付いてきて驚いています。私の母の発言についてです。番所橋が出来たことも、知らないでいた…と発言したこと。容子は、早速、番所橋がいつ、出来たかを調べる為に、昨日、濱田食堂横の記念碑の前に立ちました。私の母が生きていたときの造成を記す年度が見つかります。大正12年(1923年)…これは、私の弟が生まれた年、すなわち、容子の父親です。歩けば、ほんの600メートル、しかし、それでも行けない。家の中で、仕事をしていた為に、一分でも、時間を疎かにしたくはなかった母の気持ちが伝わります。私たち日本人には、勤勉の遺伝子がある。そして、女子には子供を産み、育成するという必須課題がある。ひとりで、何役もこなすことは、当たり前?私の母は、きっと、今の容子を見て安心するでしょう。働き者の遺伝子がようやく、眼を、覚ましたようです。