アクアマリン・マン

 2013年、僕が豊橋市往完町のマンション宛に投函した手紙を、やっと容子は開封し読んだようだ。僕が娘宛に書いた手紙ゆえ、じっと開封される時期を見守るしかなかった容子だろう。11年前、ふたりが豊橋移住を決めたとき、僕は渋々、了承した。生後5ヶ月の孫も一緒だった。当然、どちらかが、働くものと、誰しも思う…しかし、僕の年金が多いことを先読みし、ふたりは中々アルバイトに就かなかった。4ヶ月もせず、ふたりは一時的に長崎に帰省した。その間に出て行った金は…たぶん、みんなは、ひっくり返る。67万円だ。この手紙に僕はなぜ、容子が日本一の母親なのか、億面もなくしたためてしまった。あやつは、やっと、長い間の謎が解けた今日を喜んでいるだろう。