私は自分が、産んだ子供はなく、91歳まで生きましたから、余す処なく自分を見つめる時間がありました。特に小学校を退職してからの長い長い道のり…最後の勤務は山里小学校でした。今から65才以降を歩まんとする方々は、一体全体、どうすれば有意義な人生を送れるか?かなり、考えると察します。私も、自分の退職金と睨めっこしました。もちろん、頭にはボランティアの部位はありました。甥っ子姪っ子が7人あり、孫もふたり。どんな奉仕の精神で挑めば彼らを開花に導ける?お手伝い出来る?…しかし、やはり、自分が第一です。欠点の克服を私はまず視座に置きました。段位が欲しかった。劣等感をそのままにして、黄泉の国には行きたくない…定年してすぐ、私は書道家の門をくぐっていました。