西🏝姫瑠のアディショナルタイム(334)

 

段々卑屈な気持ちが取れて、まるで年齢を重ねると、徐々に取れてくる、カドを今は私は両の手に握ります。これまでとは全く違い可能性に、満ち溢れているのも伝道の、過程において道筋を得たからです。宗教で使う伝道ではない。これまで意固地に自分の押したい概念で生きて来たけど、自分から若者に開襟を開かないといけない。若者は自分からは来ません。それがよく理解出来たのです。危ないと、感じたら私は速い。いつも、逃げて来た人生です。でも、逃げて来たからこそ傷つくことは、最小限にとどめることが出来た。その意外性に今になり、気がつく。若者にあたし達は、合わせたい。趣向も、希望も、人格も、合わせたい。出来る範囲ですが…。