西🏝姫瑠のアディショナルタイム(115)

 

去年は何一つ実りはなかった…とブログを嘆いていたけど、このアディショナルタイムをゲット出来たことは大きい。今年になってそこに気がついた。遅ればせながら、ようやく去年の実りについて今執筆出来るとは、無神経な人なんだな・・はみんなが気がつく場面にもなる。自分がこうだと決めてかかる性向がある。思い込みは激しい。人の感性をあまりあてにはしてない。しかしそこが大穴だった・・・と覚醒する。あたしの感性は66歳の感性で物事を決めてかかってはいけないのだ。20歳にこれからなろうかとする人々よりあたしの感性がフレッシュなはずもない。十代には十代の照りがある。20代にもその照りがある。みんなが精進してきた証明。30代にも同等の照りがあり、66歳のあたしにあるのは照りではない。いぶし銀の魅力である。そこに気がついている人々があれば大丈夫だと思う。老練になっていれば問題ない。年をとってもいつまでも思慮が乏しいのならあたしは疑問符を持つ。何のために年輪があるの?って責めたくもなる。あたしは確実な一歩を今日から歩み始めている。