ブラックオニキス・マン191

 

赤裸々に綴ることは勇気が必要だ。僕は、生来、はにかみ屋だったから特にその辺には詳しいつもりだ。母のような所作を取れる人物は中々いない。職場でも喉まで出ているのに、肝心の声にならない母。エッセイストとブロガーの差異ががここで証明されて興味深い。随筆を手掛ける文章人がエッセイストならブロガーには別の意味も含有でそこに今後の枠もありそうだ。わくわくが掛かっている。日本人は常にこうであらねば・・・を規律してしまう。自制もあれば他制もしかり。自分本位に動けば無法者と言われ叩かれる。なぜ、そうなのだろう。自分自身をスタンスすることが誰にとっても困難でちょっと上手く行くかな?って期待しても頓挫してしまう。なぜ、ここまで堕ちてしまったんだろう。僕はそういう負の歴史をまったく背負わない人間になりたい。心で祈念している。しかしながら実社会で僕が心配なのは、自分自身のリスクを感じ取ってしまい萎えてしまわないか?っていう危機感だ。親と子供。実際は、同じか、または似かよる思想と思うけど、中身はそれぞれ特徴があり個々違うとの認識でいる。僕はどこまで母を看過出来るだろう。いつかは母にノーを言う日があるかもしれない。パートナーとの成約がすべての鍵になる。女子は結婚したからといって相手の言うなりにはならない。きっと思想も家譲りの厳かなものが含まれる。それに反して、母は全く違う思想の持ち主だ。他との同化は考えられない。究極、僕は彼女を獲るつもりでいる。結婚とはその認識回路の決着だと思って全然不思議ではない。(24339)