アクアマリン・マン83

演歌に触れてこれから展開していくオパールママンのシーンが僕の心をハイにする。ただしこれは、容子の一回目の結婚相手の男性。しかもこの男性も、無法松を歌っていたというからえにしを感じる。無法松を愛する気持ちは男であれば万人に通じる思いではないか?って僕は思う。特に九州男児ならそれは加速する。女性が果たして男の気持ちになってこの気持ちを理解できる?そこには甚だ、疑問符ハテナが浮上してくる。演歌でも僕は村田英雄を愛していた。もちろん他の歌手でも好きな曲はいっぱいあったけど、それは突出していて、歌の中に入り込むと得も言われぬ快感を感じ度し難い望郷の念に惹かれる。ふるさとをも思い出させる牽引力が、演歌には確かにあるのだ。無法松の一生を僕はカラオケでよく歌った。ここまで男を彷彿とさせる演歌を僕は知らない。乱暴者でも人から愛されるタイプがある。期待感を抱かせる激情型だ。僕にはそういう性向がまったくなかったわけではない。しかし体力がなく小柄だった。ゆえに、演歌というバラードの中で歌詞やメロディで夢に伴走しながら追い駆けるタイプだったのだろう。演歌をバラードと英訳するのも意味がある。僕は単身者のとき、マンションの一階には、ポケットというカラオケスナックがあった。目覚町付近だった。そこが実は初めてのデートの場所だった。あやつは、酔っぱらっちゃったを歌い、僕は無法松を歌った。驚いたようなあやつの表情がまだ、今でも、僕の脳裏には焼き付いている。演歌と歌謡曲の接点がふたりの出逢いだった。懐かしい・・・というより、これからのキーワードになっていく。