ブラックオニキス・マン183

職場の中でひと悶着あったことは嘘のように、母は自分の中で了解を得て今年の船出があった。もういつ辞めてもおかしくはないほど、人間関係で悩んだけれど、自分が引っ込むことでことなきを得る。それもこれも年齢がそうさせていたのでは?66歳というとあとがない。喧嘩して辞めても誰も次・・・雇い手がないだろう。その判別は正しかったと僕も思う。50代の母ならソッコー辞めていたものが60代で得た職のありがたさは格別のものだったのだろう。66歳というと、昔なら、寿命が尽きた頃を言うだろうし、平均寿命の伸びによって、ここまでの長寿が人類には約束されている。人は百年をどう生きるのか?みずからその百年を再考しないといけない。僕は、まだ、30歳だからこの先の計画を思うと実は嬉しいし歓迎している。しかし百パーセント喜んでもいいのだろうか。それだけ生きるということはお金は必須ということだろう。その分、自分自身の中で生きる資源を見出さないといけない。人生百年の時代は本当に、骨身を惜しまず、僕らの前に突如として現れていることを否定は出来ない。この長期間を生きるという気骨もだが、どうやってプロセスを各人が掴むか?だろう。僕だけに与えられた試金石ではない。みんなが一緒にそこを見出すプロセスだから面白い。一気に片付けたい。