アクアマリン・マン80

 

僕はデートのときでも、相手はハンバーグを頼んで、僕はステーキ。それでも気遣うこともなく、しっかり恋人には逃げられた。人の気持ちが言葉に出ているもののみと、ストレートに受け止める。あと一歩が足りない僕の配慮で、いつもフラれていた。僕はステーキが何よりも好きで、週に一回は食べたかった。長崎に赴任した時も、さとうのステーキにひとりで通っていたくらいだ。美味いものをひとりで食べる極上は、独身貴族特有の楽しみだった。新赴任地に行くと、必ず美味しいステーキを出してくれる店を紹介してもらい、しっかり通った。銀行員は地場の情報に詳しい。どこぞの経営者が御曹司を育成してもらいたいはよくあった。精神力や金融知識を息子に学ばせるために、銀行に奉公がてら、子弟を出すことは昔はよくあった。ずっと勤務するわけではない。人との折衝や、金銭感覚そのものを学ばせるために、銀行を選ぶことがどんなに凄いことなのか、経験した者でないと分からない。しかしやはり、大名行列なみに封建組織であったことは否めない。今は随分、風通しも良くなったことだろう。こうまで、容子が、信用をつけるとは思ってもみなかった。僕が亡くなり、容子は覚醒したのなら、そこを褒めてあげたい。自分が五足のわらじを履いていると豪語するなら、それだけの結果を見たいものだ。