アクアマリン・マリン68

 難しいのは人との関わりであり対話だ。渡り合うとかいう以前の話。昨今は応対品質とも呼ばれる。相手からの厳しい言葉に、打ちひしがれて、人を恨む目線でいる人間がもっとも難儀だ。これでは忠告は生きない。きちんと聞ける人間であることがまず前提になる。しかしながら甘やかされて育った人間は、その傾向はあるかもしれない。自分の行いを棚に上げて人様に文句を言う。これでは逆恨みもいいとこ、皆の鼻つまみにあって終わりだ。どうすれば皆と打ち溶けて、実社会で愛され、信頼を勝ち取ることが出来るだろう。我が子が、そして孫たちが将来を安泰に出来れば、他は何も要らないを思うのはどなたにしても同じだろう。40年金融畑を歩いた僕自体、厳しい倹約主義で育成された。始末しなさい!!それが第一で第二はない。食べるものがない時代が追い打ちを掛けて、母親は過労で40歳になるとすぐ亡くなり、父は自力で六人の子供を育て上げた。食べて行くことが真っ先だった。高校も働きながら通う。車の整備工場だ。叔父の経営する工場に兄も一緒に間借りで勉学とアルバイトを両立させた。バイト代が学費だ。兄は千鳥饅頭に奉公に入ったがクルマが好きで転職していた。賄い飯が付くだけで嬉しかったがほぼみんなが食べたあとの残飯か、芋飯。高校を出てさあ、社会人になる!!っていうとき、全部の企業を落ちてしまう。しかし最後、捨て身で挑んだことが良かった。僕は九州銀行に全力を傾けようと合格の瞬間に決めた。命を賭してもいい!!それくらい、僕は仕事に情熱を傾けて行けたのも、今考えれば、他が全部落ちていた・・・という試練があった。このセオリーは今の容子に符合している。捨てる神あれば拾う神もいなさる・・・そう思えば心は断然ラクになる。