デニム・ブルーママン16の18

 間違いのない人生を誰もが念頭に置くけれど、もしもミスをしてしまったとき・・・そこでの対処が万全になるか?それとも手薄で終わるかで随分差異はついてくる。しかし15歳の頃の容子は人生の大人たちをほぼ百パーセント信じていますから何も猜疑心がない。心がクールでしかもリッチなのです。大人が間違ったことを発言するはずもないと見ている。じゃあ、なぜ、反発はそもそも起こっていたのでしょう。みんなが同じ考えでいるわけはないのに、立場や基本のようなものがそれぞれにあって触覚で確かめていた感じはありますね。父親は堅物だけど、結構自由に生きている。命の洗濯に余念がないことも察知していた容子です。しかも公立高校に中学生を送り出す仕事。当時は大浦中学校でした。この子は合格し入学しても順当に伸びるだろう・・とかこの子は間違ってもしも、入学したらそれこそ、辛酸を舐めるであろう・・・夫にも職業的な第六感はあったと思います。なぜ、百%容子ならついて行ける!って信じ、ゴリ押しをして強気でいられたのか?そこだけは私は同じ鞘には収まれないな・・は感じ取っていました。容子の苦難は入る前からちゃんと立証出来ていながら、みすみすそこへ投入せざるをえなかったのも運命論を支持しているから?そこは各人獲っていいと思います。後の容子の符合論の根底を成すものだけに脚注が入る項目でしょう。すいすいと出世がなかった者には神様のご加護が加味されます。これまで、随分苦労の連続だったように周囲は思っていても全く逆であることが、この先証明されるでしょう。容子にとって辛いのは美味しい食事がなかったときです。それは今正しくそうなんですが、神は見放しません。女性の時代の先頭を切っていく容子ではありません。むしろ男性の側に立って意見を述べる。だから信頼を勝ち取っていくのです。