アクアマリン・マン57

 ナゼソコの中村さんの生き方のお陰で、今ある容子。実はもうコンビニのトイレは借りてないのだ。家族の手前、行ってるふりはしている。なぜなら家族は結構うるさいからだ。中村さんは肥料にしている。そこにヒントを貰って容子も猫の額ほどの庭に自分の落ち着ける境地を作っている。なぜ、自分の土地なのに、遠慮をしてわざわざ、コンビニのトイレをノック?やたらめったら間違っていた過去の自分をすっかり払拭して今ある容子だ。そこはお隣からも見えないし、上に公園用パーキングはあっても深夜は誰も車を停車には来ない。不審車がいたらすぐ警察に通報する容子はきっといい前例を築いたのだろう。容子はしばらく確かにコンビニのトイレにお世話になっていたけど、それはやっぱりコンビニ側からして見れば迷惑な話であることにみずから気がつく。一回こんなことがあった。前に入った人なのかどうか?そこまで限定は出来ないけど、詰まってもう少しで水が満杯になりそうなコンビニトイレになってた。そういうとき、一番疑われるのでは?が容子の頭に点灯したのだろう。人様の失態を自分がかぶるかも?それは弁解がしにくい場面。だって、しょっちゅうトイレに入っているあなたでしょ?って言われたら身も蓋もなくなる。中村さんの生き方は立派で清貧の鑑。しかし健康であるから出来る以外にもきっとあると思う。

 寂しさに堪えうる心だ。僕が42歳まで独身だったからそこはよく理解出来る。突然襲ってくる孤独感は払拭出来ないものだった。その寂しさを忘れる為に僕はパイを握った。そして見なくとも相手の牌が何なのか?透視が出来るほどに雀鬼になっていった。投資にはそういう極みがある。パイの裏が透視できれば、投資はOKである。