イエローダイヤ・マン1512

 僕が僕である理由は僕が自分の仕事をスムーズにやり終えているその瞬間だろう。文意を添えるという言い方ではなく筆意という言葉が出て、歌川の心の深さ、懐の綺麗さに驚かされた。これまで、単なる絵師だと勘違いしていた。彼は実は火消しの仕事に就いていた。そして役目の側と庶民の側、両刀使いで様々見たものを遺した。暗号としてそれを遺したのも当時はしょっぴかれる・・・という恐れもなきにしもあらずの世の中。なんでも描いていいという自由さは実はなかったことを知り驚かされた。ノンフィクションでも写真に出来ないな・・って思うとき、僕も暗号めいたものを用いる。日時をぼかしたり、描写をわざとゆるくしたりと広重がいかにそこを先に読んでいたか?それが火消しだったからこそだろう。街の些細な情報でも彼にとっては重大な歴史。この・・・何にこだわったのか?が重大で文脈にもなる。検証に相当する。多くの世界中の人々に彼の絵を一枚一枚見て欲しい。生きていたら、ゴッホにも見せたかった。歌川が売れっ子への道筋を掴んだとされるのは35歳だったという。そこで生業に出来る!!と自信をみずから得て火消しを辞めて絵描きの道を邁進・・・それにしても日本にはここまで優れた先駆者がいることは将来を明るくする。それは道標になる。食える・・って確信したのは絵は評判になって売れ筋になっていったそのときからだろう。ケサフレは東京百だ。僕も百には拘る。彼も同じように数字に拘る。同じ脳みその可能性を知り嬉しく弾んだ。今ググって真相を知る。やはり、ゴッホは日本の浮世絵に傾倒していた事実だ。