デニム・ブルーママン15の20

 最初にバドミントンを教えてくれたロコちゃんも今は女子高校生になって瑞々しい風情でひらりとバスに乗って座席が取れたら本を読んでいる。当時はまだスクールバスがありません。ロコちゃんも長崎県営バスに乗っての登校です。夫は大浦中学校にいましたから中央橋までバスに乗ってそのあとは徒歩で通っていました。当時の人々は歩くなんて朝飯前。なぜ、乗り換えたりして電車も利用しないの?ってみんなは思うでしょう。確かに蛍茶屋で降りて、電車に乗り換えればはるかに近く感じる。夫は詩人の部位も持っていたことを話しておきましょう。風情や感性にすこぶる反応できる被写体を目に持っていたのです。眼光の鋭さではなく、微笑み返しのような余裕の部位です。帰りは下り坂ですからむろん歩きで、中央橋まで来ると、また、買い物。道端で売っている行商人から買い求めて築町やアーケードは夫の消費者練兵場のようなものだったのです。1歳上の姉がお金に倹約家であったのに反比例で、夫は宵越しの銭は持たないを標榜し、それを火消しするのが私の役目だったのです。お小遣いをやらないのに、どういうわけか持っているときは姉にねだってせしめたものでしょう。姉も甘かったのです。男にしか出来ない場面を弟にクリアして欲しい・・・それが姉の軍資金配りだったかもしれません。女子に出来ることは数えるくらいしかない。しかしメンツのある男になら?可能性が広がることを姉の希子は見抜いていたのです。