デニム・ブルーママン15の16

 奇跡的にいい曲が完成したのよ・・って容子は私をピアノのある応接室に呼ぶので行ってみました。夏休みの宿題である詩歌に曲をつけるという試みに学校全体で・・・っていうより長崎市で作曲コンクールを開催していたようなのです。石畳に 陽炎燃えて きらめく寺院の 甍…という出だしです。容子がいい曲が出来た!!っていうくらい興奮するのですが、あたしも聞きそれがなんで出来たか・・・って奇跡を思うのです。まるで、唱歌みたい・・・ってまず思ったのです。ちょうど家の前にピアノの先生がいて容子も暫く当時通っていました。自分の好きな楽曲を弾く処を見てもらいレッスンしながら完成度を高めるという作業で、しかも先生がゆるく捉えてくださって、ジャズやポピュラーな曲も視てくださっていたのです。容子の楽曲がそこまでスゴイなどあたしにも分からず、教師だったら評価は出来ますが、音楽に長年鍛錬された先生が聞けば?と私はこの楽曲の生命力がわかるかも?って一瞬弾けるのです。コンクールで賞を獲るかも・・ってそこまではまだ、思いません。何しろ田舎の中学校です。いい曲が5万と応募してくるその中でかき消えることだってあるでしょう。先生はレッスンのときに、思わず、聞かせて頂戴!!って言ってきたそうです。容子はすぐに弾いて聞かせます。先生は一瞬にして、本当にこの子が作曲をしたものだろうか?っていうどよめきがあったのでしょう。疑いに似たもの・・・それはあって当然でしょう。15歳で、弱冠という二文字を標榜出来ていた中学生。それが容子だったのです。