デニム・ブルーママン14の13

 私は自分の野放図な性向をあえて悔い改めようとはしません。自然のままでどんな結果が待ち受けるかを見たい・・・そんな怖いもの見たさも現実にはあったのです。確かに子供が先生を慕う、芯から尊敬してくれることは嬉しいことで、容子もそういう抜群の向上心を持つ生徒の名前から拝命したものでしたが、この子が実態を伴ってはいなかったこと、反則の遺伝子を持っていたことがおいおいわかってきたことも影響していたのです。私が父を否定して、人生を送ってきたことです。なぜ、それが起こったか?よおく父が見ていたことです。黄泉の国へ行ってから恐らく父は私から封印されたことを、快くは思ってはいなくて、それを是正しようとの意気込みではなくむしろ、私が子供を授かったときに、再び心の変化の要因を探ろうと予め、用意していたのだと関連付けたのです。父を慕い母を敬う。この精神で育成された私達姉妹にも心の変遷はあったのです。特に戦後家庭を持ってそれは否応なく訪れた。兄は優等生でもそれは起こっていた。あのときのような、軍国主義を兄は取らなかった。姉や妹も新しいデザインを家庭に用いたことが私には光る要素として頭に刻まれていった。姉は特に斬新だったのです。古い家のしがらみをみずから切って取って、改革に邁進していき、それは私でも一瞬迷うであろうことにまで着手して子供の育成の仕方でも同様だったのです。もちろん我が家の子育ては失敗だったと百人中百人に言われて私の心が寂しかったか?っていうとそれは全く違います。おのおのが挑んだ結果を私は否定しません。言いたい者には言わせておけばいいという対処でいました。

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