デニム・ブルーママン11の16

 出来るだけ明るい楽曲がいいと容子自身があたりをつけていた段階で、この曲を美知が選び採るなら、それは…と容子は思ったはずです。京都から帰ったばかりの頃は、荒れ狂い、タヤと口論が絶えなかった。時間が経過して心が落ち着いてきたことは言えます。自分の詠むべき短歌を詠もうとしていたのも想像の範疇です。その頃は和裁教室もタヤは開かず、一心に娘の看護をしています。畑に行く回数を減らして、精の付くものを食べさせたい気持ちで毎日を精進していた。容子が通るときに話が出来るように、美知は仏間のタヤのいる部屋から出て、皆が通る、一階の玄関入ってすぐ左の3畳くらいの木洩れ日入る鏡台の横のスペースに布団を敷き、横になっていたのです。体調がすぐれるときは、髪付け油で黒髪を解き、ゆったりとしていました。いきなり、私に、あることを伝えて来るのです。