イエローダイヤ・マン1351

 僕は川柳について考えながら、小気味良い気持ちになれる内が花だと思う。楽しく理解し推移さすには、本当に楽しい状況でなくてはならず控え目でもいいから、楽しい気持ちになる動作へつく。自分は飾らない性質なのだ。ゆえに、楽しくなるには心から溶け込まないと、それに近いようにはなれず、雰囲気をそれらしく整える。僕は滑稽な自分を無理をせず作り出す…川柳が優れるようになるには滑稽が介在し卓越と関与するのだろうか。そうであるのなら意味はある。