イエローダイヤ・マン1273

 僕は節約について思いを馳せる。あんなに眼一杯、リボリンディング主義についてを語ってきたけど、みずから、墓石を刻む昨今だ。なぜ、大敗してしまったのだろう。やはり利息の壁の高さに怖気付いた?それとももっと堅実な考え方にいきなり方向転換してしまった?みずから背水の陣をこうして吐露しているのも価値があるな・・・ってなぜなら富裕層に負けたからではないからだ。もしも僕がずっとリボルディング主義でいたのなら僕の悲しみを同時に味わう人たちで埋まっただろう、その街路樹たちも今は整然として梅雨の雨に打たれて今後を見定めている。コロナ後の世界を、模索し始している。その世界はどんな生き物で満たされているのだろう。恐らく僕のような怠け者の付け入るスキマやスキはない位、完全な様相になるのだろう。僕は静かにあの幼児ベッドを思い出す…今日は弟の誕生日なのだ。脱衣籠のようなベビーベッドだった。母は抱き抱えて乳を飲ませるたびに深く身体を傾けた。なぜ、釣鐘のように深かったのだろう。スイングするため?それとも深い位置にあることで誰にも触れさせないように、なっていた?子供の手では届かないくらい弟の頬は遠かった。今、思い出し手繰り寄せるのは製品の奇跡だ。今でもあのベッドが家具屋で見つかるのなら日本は相当、文化のある国だと絶賛は出来る。