ルビー・ウーマン868

 今・・・アクアマリン・マンとエメラルド・ウーマンについて構想を練りつつ迷っています。どちらも1から開始と決めたけど、どういう筋書きでいく?それとも物語風でいく?って。二人ともかなり倹約家で例えばそれはふたりを育てた両親の考え方が似ていた証明かも?ってまったく違うあたしの場合と照らし合わせながら検証しています。わたし、キャロルは二人の足元にも節約が及ばないのです。金銭的にもあたしはルーズだし食べ物中心で来た。それなのに自分で作ることさえ、難儀とくる。食べ物は外で食べる習慣でほぼ来ています。ふたりはしかし意外なことですが、外食が大好きで会合も好きだった。でも・・・あたしに対しては厳しい金銭哲学を、なぜか、強いたのです。意味があったのでは?って今更ながら思う。金銭的にひっ迫すればもっと最上のものと対峙出来ると踏んだのでは?人は常に理想を願うけどこの取り扱いで四苦八苦します。理想どおりには行かない己の待遇《我》を持ち、それによって苦しみを分かつ運命です。そこから解き放たれて、結果、いいものは書けないと言わんばかりに、神によってまじないを架けられている・・・ってそうついつい仮定してしまう。実際もしも何不自由ないわたしだったら、どんなものと対峙出来たでしょう?そういう討議を重ねることで、文学の蔵の鍵は随時解除されるのかもしれない。今月最後の日曜日からこの二つの章は開始になります。