イエローダイヤ・マン1266

 僕はなぜスポーツの野球なら野球の打者は水ものなのかをようやく悟る。この境地まで来たことはあることに気が付いたからだ。もったいぶってもいいだろうし、これまで誰も言ってない。そこは発見にもなるだろう。バットを一回振ってボールには当たらず、二回目も振って当たらないなら、三回目振って当たらなければアウト!!ここをよおく見ていこう。二回は振っていいのだ。この二回こそが、文学で言う推敲や添削になる。平たく言えば書きな直しだ。そこがあるからこそ、句や歌も一丁前になって行くわけだが、ホームランを必ず叩き出すバットでもあれば別だが、それはどこにも売ってない。僕らには推敲があって二回は書き直しが出来る。そこを踏まえれば野球人も三回目はヒットを出すべく立場にあって、全然おかしくはない。しかしかなりユルい。二割五分というと四回に一回ヒットだが、それでも充分満足な今の環境では野球人はいつまでたってもぬるま湯に居ると言わねばならない。僕から酷評されても仕方ないっていう状況だろう。そういうぬるま湯でも僕は満足です・・・っていうのなら僕とは組めない。釈迦力になる積りはないが僕は・・・ひっちゃかめっちゃかを狙うもくろみの元に今、ある。これは漢字で振ると必釈迦滅釈迦だ。これで、僕の気持ちは充分に君達に伝わっただろう。