ルビー・ウーマン861

 本当に相手のことを思うからこそ言う意見とそうではない意見がある。川柳では以前も言ったように、完全な傍観者や下世話なはったりが図々しくも存在するからことが面倒だ。第一、本当に相手のことを思うとなれば身うち感覚?それとも自分の子供に対する愛情の類に似ているだろう。私は、昨日、ちょっと怖いニュースを見てこれは川柳的だなあって感心しながら読んでいた。ぼったくりの男爵とある人物のことを揶揄してあって、面白いけどこれが本当なら大変なことになるぞ・・・って実は危惧もした。そういう仇名は、事実御本人を傷付けるものであって、他の何物でもないからだ。私はニュースを読まないけど目に飛び込んできた新鮮な語句をやっぱり拾ってしまう。斬新ならもっと知りたいし、後日自分の創作のネタとして取り込むためだ。でもぼったくりの男爵の表現はかなり洒脱で、そういうニュースの中に潜むダイヤモンドをどうしても拾ってしまう。ことの心意を調べたい自分は確かにいる。けど川柳や狂歌を詠むとき、そういうものまでやってたら実は時間は足りない。私がいつもみんなの先を行けるのもこの省略があるから・・・そこを搔い摘んで今朝は書いてみた。新聞記者になるのならその辺は絶対に外せない。しかし文学者には必要ない。自分がそのニュースにいかに感応したかが論点になる。