狂歌や川柳の素質っていうのにある。冷やかしやそねみ・・・しかしなぜ、歌になれば許されるのだろうってあたしも自分自身を振り返る。ラマダンの季節でしかも安息日もある。すると頭に飛来するのはそういう日は仕事をしてはいけない・・という決まりが存在する。敬謙な気持ちになる。しかし自分はやはり、狂歌に合っているな?ってすこぶる思う。どこかに皮肉を込めたくなる。弱いからこそだろう。不動の地位を有する者は狂歌や川柳を詠めない。いや、断りを入れてしまうのは、それこそ、もったいない。貧しくなくとも裕福でも狂歌・・・詠んでもいいのでは?って思い直そうとするけど、やっぱり違和感がある。腰の張りがある。やっぱり貧しい貧乏長屋に棲んでいる人間達の方が馴染み易いがあるだろう。四打席・・・バットが沈黙して三振だったトラウトを見てあたしも考え方を変更した。無理ばかり言ってた人生だ。四打席のうち一回は打つだろう!!って思いこみだった。しかしトラウトが教えてくれた。僕だって・・・打てない時はある。それきちんと、理解をしてね?って。あたしは明日から変われる。きっと。文系はその点違うからついつい高飛車になってしまった。文系は打てない時なんて存在しない。書けない日は存在しない。恐らくそれがあるのは、亡くなる日だけだろう。