デニム・ブルー・サファイアママン4の7

 練習に明け暮れそれがどんどん身についていくとき、あの子の精神の摩耗にまで及べない自分、それこそがエゴでしたが容子も結構しぶとくて中々弱音を吐かないのです。やがて上手に母親とコンタクトを取る術を覚えます。今にして思えば私は容子の術中に嵌まったのでは?と分析出来る。なぜならずっとその先、神童を演じ通したのです。私は、きついからもう限界だって、しゃかりきになって抗議してくる彼女をどこかで待っていた。しかし予想は外れ、彼女はついてきた。この様相なんですね。もっと上へ!!って私に欲が出てきます。この子にはきっと誰も持ってない才能がある?って。たった一度でもそう思ったが運の付き、母親は夢を見ます。みんなに注目されて評価を受ける勇壮なユメ。なぜ、自分はそういう上昇志向なのだろう?って自問してみると、やはり、世の中がひっくり返ったあの敗戦のときが素直に頭に浮かぶのです。みんなから苦慮に満ちた目で憐れみをもって見られる・・・しかももはや尊敬の念など皆無。そこからです。屈辱を平らげてここまで来た戦後の奮闘は心を抜きにしては語れない。私は私なりに、これぞと思って着手し、この道程を信じ愛した。よしんば、かなり、ハードだったにせよ、容子は追随してくれた・・・。もしもあの時、早期教育を施してくれなかったなら、今の自分はないって容子は私のムチを、逆に庇ってくれたことがあった。私が亡くなる直前、最後に日見(ひみ)の病院に来てくれたときです。それを聞いたときに私の溜飲は全部下がっていたんです。