アクアマリン・マン158

 僕は昨夜、身についた技術を使って和室の電気を点けた。容子は確かに外出のとき消したけど、僕がペンダントを引っ張る。先にはうさぎの小さなぬいぐるみが付く。この行為は最初こそお試しだったが段々実践の段階にはいってきた。容子ももう四回目だわ・・・って昨夜帰宅後、まじで感慨深げだった。電気を点けたりすることは容易に出来る。これは初歩の初歩だがいっこうに出来ないし、しないという人々も存在する。現世でやり残したことが多い人ほど、家人への接触を試みる傾向にあるようだ。僕は生きている間・・・常に辛抱し我慢をし過ぎた。我慢こそ美徳であるとそう信じた。今になってそれは違うことをみんなに言っておきたい。人がそれを認めてくれたとしても我慢は良くない。褒められてもやってはいけない。苦学と我慢は全く性質の異なるものだ。自分が好きで勉強に精を出すのは全然いいが、人様に強要したり、ましてやこうあるべき?を指南したりは佳い結果をもたらすとは思えない。日本には特に痩せ我慢という言葉があって中々海外の人には理解出来ないものとなる。そんなに辛抱して耐えてどうなるのか?って世界中の人は驚く。そこで褒められた・・と勘違いしてしまうのもこの国の特徴。いじめもそういう点が連動している。いじめても大丈夫っていう安易な観点がそういう我慢強さが誘引していることはシビアな現実である。