デニム・ブルー・サファイアママン2の12

 私の姉がもうじき出産でお互いに切磋琢磨していたのは言えていて同級生になるのね!!って。姉も初産で佐世保に住んでいたことで割と近い感じです。しかし妹は遠い場所、九州ではなかった。姉とはかなり頻繁に手紙で連絡をとりあっていました。思えば姉は脇田大佐に関することにとても敏感で、大佐のために自分の人生を重ねているようなかいがいしい娘としての視点を温存していた。けど・・・私は反逆児だったのです。父のこと、あえて思い出したくはない強硬な自分を維持していたのです。翻って兄も父を尊敬し、それゆえ、自衛隊に赴きましたが、少なくとも、私は妹と同じ目線で父親、喜一郎を見ていた・・・ここは真実です、戦争がいかに国民を貶める行為だったか?深い反省が根底にあるとの流儀。教師としてではそうでしたが、淡い感情や生温かな憧憬を、父に対して抱くも、それをあえて打ち消し、戦後を歩んできた。それが賢明であることを父はみずから語っていたからです。何も打ちひしがれることはない、日本が負けてもそこからまたスタート出来るって。父は終戦の2年前くらいには負けるだろうと家族に話していたことが現実には立ち上がりを早くしたと言えます。負け戦であることは海軍にはわかっていたのです。