アクアマリン・マン147

 不測の区域に突入したからといって驚くことじゃない。何もかも目に見えているし、解決出来ないことなどない。イジメだって同位だ。すべてがより良き方へ向かう。みんなが真相に頼らず自分自身を振り返るという起点になっている。このことが大事だ。僕も人生最大級のイジメを最後の2年間銀行で味わった。人は皆、開口一番、お前が悪いんだよ!ってこう言うことが理解っていた。だからこそ僕は呑んだ。処分を呑み、2年間堪えた。ほろ苦いことだ。我慢することが身に染みて備わっていた。小学校の時だ。僕の弁当は貧乏だから日の丸弁当。みんなのは違っていた。ストーブの上に先生はみんなの弁当を温めるために並べる。僕は怖くておろおろしていた。軽いのだ。かまぼこ屋の息子はかまぼこの一杯入った弁当を自慢し、欲しいと言う者には分け与えていた。僕の弁当は軽くて人の弁当が横に来たらその場で床に落ちそうで怖かった。貧乏が染付く。だからこそイジメにも堪えられた。皮肉なことだがそれが人生だ。僕はしかしその様相を妻が見ていたことが幸いした。目撃者だ・・・。みんなにもいずれはわかる。たった一人で悩んでいるかに見えているがちゃんと神様が用意している。この後、小道具係も出て来る。人生捨てたもんじゃないことを妻は証明する。