デニム・ブルー・サファイアママン2の2

 どんな家庭を育くめば幸せになれるか?そこを親友たちは煮詰めて、私に打診してきます。皆が同じであるはずもないけど、一応マニュアルってあるはず。当時そういう外来語はないし、外来語が頻繁に出て来始めるのも随分それから時間が経過してから。夫のマザコン気質は自分の目の上のたんこぶだ・・・って察知してからそれを外すべく努力はしたものの、全部空振り。懲りない男だった。かといって親友の助言は実は必要とはしていなかった。そこを直感出来ていたのかもしれない。相手が小さい男で良かったのです。もしも熊みたいな男で利発なら逆に抑え込まれていたでしょう。私は絶対に自分の方が腕力もあるって確信していた節があってさらに相手がすぐにしくしく泣くことで勝利は常に自分の目の前にあるんだってそう楽勝ムードでいたのです。第一私はあのときしか、泣いたことはない。母が亡くなった時。父が亡くなっても私は泣きません。軍人としての勤めをきちんとこなしてくれた父へのはなむけこそが、自分が自分を律していること。父は基本的な人間としての生き方を教えてくれたと思うしそれは、人様に迷惑をかけてはいけない。家族に迷惑をかけてはいけない。自分の力で生きていく。それをしないなら穀つぶしでしかない。ひとりの父親として教えたかったあの気持ちは理解していたのです。