dbs14

 石橋を叩いて渡る生き方を説いた両親に思いを馳せると、戦後の道のり、過去を繰り返すことがいかに危険なことなのか・・・本能でわかっていました。日本は民主主義に染まっていこうとしていた。どこかで、それは違います・・・という自分がいたこと、しかし、漠然としていたし、いたいけだったのです。みんなが同じゴールを目指してはいない、このことにもっとも敏感でいられたのも、両親が石橋を叩いて渡った人間であったから。しかも曲がったことが大嫌いだった。しかし、それで、ご利益があったのなら私も引き継いだでしょうが、日本が味わった屈辱は想像だに出来ない降伏だった。幸福ではなく降伏。この2文字は辛辣で、両親が敷いたレールをそのまま歩いていくことに慎重になっていた私。もちろん根本は何も変わってないんだ・・・と言うような旧道派は沢山いて、そういう人物たちが、自分にとってはありがたかったのが現実としてそびえ立ってた。しかし教育熱に夢中になる友人たちは、そこでの観点をないがしろにせず、きちんと飲み込んで、家庭教育に邁進していたことが、女性の進歩だろうと位置付ける。私には軍人の家族としての嗅覚があったのです。この戦後にもしも何かが起こるとすればそれは、随分あとになるだろうとの予測です。すぐに何か急進的なことは起こり得ないだろうって。私達の世代が年老いて、次がどういう世代になっていくのか?その展望は目に見えてはいなかった。しかし確かなものがあるとすれば、身近にある。両親が道しるべとして残してくれたのでは?を思うのです。