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 親友たちには夢の話はしません。まだ、知り合ったばかりの美知にも話しません。恐らく何か怖い病気、心の病に罹っていることを皆が懸念する。しかし・・・そこで私は自分のこどもになら?話せるのでは?ってそこを思う。誰にも話せないことでも自分の子供には開襟開いて話していけるのでは・・・そんな自分を想像するとなんだか心が解き放たれていくのを感じる。ここに友達と肉親の境界線があるのでは?って。所詮友達は、ボキャブラリー満載の自分を見てよ!!って言いたい。そして教育熱も同じです。自分はこういう方法で子供の才を延ばしているのよ?て。自慢ももちろん入るでしょう。そして自分がどこでその方法を仕入れたのか?ここも完ぺきに吐露してくる。情報が一杯入る自分ではあったんですが、食傷も起こる。私は教え子の境容子に参っていた・・・常に明るくて、勉強が出来て、困っている友達にさえ気を向けることが出来る優しさと気配り。教師の自分でさえ持ってないこの如才なさを、女性の品格としたい気持ちは山々。しかし自分がそういう子供を授かる保障はなし。しかも育成能力が自分には欠けているのでは?っとさえ凹むのです。日本の敗戦も関与していました。軍国主義で育成された自分が教壇で話していることは・・・事実無根とまでは言いませんが矛盾ありまくりだったのです。