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 このコーナーをあいつが設定してくれてないなら重大な疑義もそのまま放置されて久しかっただろう。日本人とはこうも受け身だったのか・・・って改めてこれからの文化の反映に縋る気持ちで一杯だ。死に水を獲るという言い方。これもミステークだろう。死ぬ前の朝、僕は病室のテレビの前に一枚の貼り紙がなされたことを知っていたがなんと書いてあったかは実は訊けない。それほど衰弱していた。その紙は奥様へ・・・で始まる。本日より絶飲食となりました。食べ物、水分はあげないで下さいとあったのだ。しかも看護士の誰ひとり説明にすら来ない。僕は毎日の点滴でかなり弱っていた。カロリーはほぼ全部点滴に頼っていた。肺の機能が限界まで来ていたのだろう。身体全体は重く意識も朦朧としていたにも関わらず、のどがカラカラ。容子は確かにその前日までは口に薬〔やく〕のみを傾けて飲料を注いでくれたのだが、絶飲の紙を見て僕に与えることがなくなった。しかし僕が死ぬまで求めたのは実は水だったのだ。しかしそれを訴えてもダメって容子は相手にしない。先生の指示は守らないと誤嚥性肺炎になっちゃうって。明日死ぬかもしれない人間がもっとも欲しがる水だが、死に水を獲るっていうあの言葉自体が間違っていることに僕は気が付く。死に水を与えるが本当で正しい。今持ってこのコーナーを与えてくれたあいつには感謝している。死んでからは家族への通信手段自体、これまで無かったからだ。