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 次にくる宝石は恐らく百パーセントサファイアだろう。しかしウーマンと呼称してもいいのか?って。なぜなら僕達の母親ミチ子のことだからだ。八年前、83歳で亡くなった。僕はその日の未明のことを忘れない。今もずっと最期の母の息を思い出しては涙する。姉は子供として、親孝行は自分が文人になることだ!!っとそう心の中で力み過ぎだったのでは?って僕は姉の努力は買うものの、もう少し家族に配慮して毎日を過ごして欲しかったと回想している。何も結果も残さなかった僕が言うのもおこがましい。本当に姉の奮闘は目一杯伝わっていただけに、作家としての匙加減が大盛だったことを今にして思う。人間は一杯与えられると感謝が薄れる。恐らく新聞社だって大量の投稿文を貰って、最後は、辟易としたものと僕は類推する。頃愛〔コロアイ〕が大事。これも新語として出しておきたい。姉は余りに新聞社を愛し過ぎた人間だと思う。若草物語のジョーこそが姉のお手本であり目標だったことは知っている。しかし、ここは日本だ。どれくらい、まだ、アメリカと落差があるのか?ようやく今、姉の存在がみんなに知れる処となったのなら姉が忸怩とした年数こそが日本とアメリカの文化の差異だろう。このコーナーはサファイア・ママンとして十月から新規する。