ss365

 次から次に僕の頭には浮かんでは消えていく。毎日時間を消化していくことは毎日死に近付いていること。そのカリキュラムは万人なのに時間を有意義に泳ぐ人は存在する。なぜ、個人差があるのだろう。時間から時間へと僕等は優雅に泳げない。いつも、苦慮するのはお金のことだ。定収入のない人間の辛さだろう。しかし一番姉が嫌いだったことを僕は頭の中で履行する。姉が最も嫌だったことは自分よりも不幸な人と比較して自分の心を慰めること・・・。しかし姉は今思っていることだろう。それだって、性善説の人間のシナリオだろうって。一番苦しんでいる人の定義がまず問題でそれは人によって違うだろう。金が無くて悲しむ人間ばかり?僕はそうではないと思う。わさおが亡くなって、たかが犬じゃないか?って思う人間こそ性悪説だと僕は嫌う。わさおにまだ、僕の心は甘えているのかもしれないが、それはそれでいい。わさおは心を癒してくれた。僕が思うには志村さんの死を悟ったからでは?と徐に推察する。犬には分かるのだ。愛する人の生き死にが・・・。忠誠心が他の動物とはちょっとどころか天と地ほど差がある。でなければ忠犬ハチ公の物語もなかった。亡くなっていても、なぜ、解らなかったのか?というとそれは行けば会えるのでは?と想像したからだと僕は思う。会えないと分かっても待ち続けた心は、人間の度量をある意味超えて輝く。