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 僕は昨日、パートスリーのゴッドファーザーを観劇し最後、愛娘が打たれて亡くなって、父親の絶叫を聞く。この長い長い絶叫こそが、親子の証明なんだなって実はそれが僕には分からない。子供がいないからだ。あの時間の長さなのか?それとも声の大きさなのか?傍観は出来るものの悲しみの深さが、度合い分からない。これは・・・子供がいない僕には想像しか出来ない賜物なのだ。ここに姉と僕とのソーシャルディスタンディングはあるかもしれない。姉は長女の病を思い、何も手が付かない位に憔悴している。しかし色紙で満載の鏡の部屋を作ったらパートナーの写真、子供達全員の写真、四人の孫達の写真、脇田大佐やタヤリンの写真などもそこに並べたいって心ときめかせている。しかしノーを言って来る親族もいるかもしれないけどそこは受け容れる。仕方がない。数々の奇跡が合致し連鎖し影響を与えあって姉の成就がなされることを思うと僕は感無量だ。なぜなら博多ポパイでパソコンでの投稿が出来なかったらはてなとの出会いは生まれなかった。いまはすまほでやっている方々も多いに違いない。これらの機器を最大限に利用してコロナ追跡も出来るようになった。恩恵を最大限に利用し、英知を人類の弱者の為に使い果たす。もしもそれが出来るならキリストから拍手は起こるだろう。COVID-19が賢い病原菌などと・・・これからは絶対に吹聴してはならない。