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 僕は映画みたいだ・・・って中身の設定には違いあるけど、2007年の映画インベージョンを思い出す。全く性格の異なる人物になるという以外は酷似で映画というものの凄さを思い知る。なぜならこの性格の異なる人物っていうのにも当てはまる政治家自体が、ちらほら見え始めたからだ。危機が人物の本当の輪郭を露にしてしまう。鮮明さがエッチングみたいに大衆に見えてくる。僕はこの時代と時代の境目こそがバリアフリーだと思っている。何かをし掛けるのではなく、ここまで長らく事実あったものの標榜的潜在力だ。みんなは離合という二文字を余り知らないかと思う。僕はこの機会にこの二文字をとにかくオープンに出して行きたい。付いたり離れたり、すれ違ったり、この性格的豹変こそが作家の本命と言っていい。なぜなら元来は誰にもつけない、つかないのが作家。しかし怖れ大きい人物もいる。誰かにつく・・・そしていけしゃーしゃー隠れ蓑にしてしゃべる。しかし僕くらいになれば、そのシャベルすぐに錆が付き、色が替わることは先刻承知。離合性とあえて三文字で出しておこう。誰にも付かないし、ちょうちん持ちもしない。離合を九州弁だと採る人もいる。意味が若干分からないと言う人が多い。集合したり解散したり。とにかく一ヶ所で思想が固まっていない。自由思想家の概念として僕は捉えている。逆に言えば毎日同じ思想ってのも信用がならない。