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 僕達は常に主人公ではなくそれが巷の様相も加味しつつ時代は変遷を重ねていく。僕達のつぶやきは誰にも聞こえるはずもないのに、それが聞こえてきたりと嬉しい要素も加味しながら時代はなおも変遷していく。三丁目の夕日を又、観劇して僕の心は見たこともない絶景に体を傾けるように感動へと機軸を移す。あのクラスの中でもっとも光るのが机の仕様だ。凝った作りになっている。前から展開のオープン型しかも、隣の人と机は対。一体誰が最初考案したのだろう。最初に考えた人は天才だと僕は思う。なぜなら必ずお隣の人に配慮するように出来ている。休んだら気に掛けるし、忘れものがあったら、気が付かない訳がない。僕達はいつの間にか、スルーすることが当たり前になっていた、その所作に警鐘を鳴らされる。でも、いきなりあの机の発祥に発想には戻れない。時間の降り積もりを禁じえない。昭和三十三年というと1958年。その六年後が東京オリンピックで今と重なる部位もあって歴史認識もし易い。あの机は何を伝えたかったのだろう。まるであの時の様相を呈してはいないと悲しむばかりではない僕がいる。僕達は過ぎ去った時間から何かを掘り起こす力を与えられている。この堀り起こし術を先人達が恐らく有している。確かに僕にも伝達があったはずなのに、時代の激流に押し流され喪失してしまった木の板ギレではないだろうか。僕はそこに書かれた文字をこれからでもいい。見てみたいと思う。