am98

 エメラルド・ウーマンが五十編行った時に突如、僕のアクアマリンマンは開始でそれは編数がちょうど50差があることでも分かる。作者の意図も透け透け。何もかもオープンにしたい陽転思考と僕は元々縁がない。根が暗いのだ。この作者との接点はあるだろう。己の域。しかしはっきり言って僕の性格にはないものばかりで、最初仮説から立てたことで迷宮に灯りが燈る。逆に良かったのかもしれない。俺は地球上に存在する。アクアマリン・マンが命を吹き込まれて今日あることは誰にも否定出来ない。しかし当初は創作だった・・・。それが段々と弟に酷似してくる。弟の風貌を僕が新たに付けたのではなく作者の中にある一定の固定観念が符合した例なのだろう。僕はノンフィクションに結局なって行かざるえなかった作者の経緯からあることを学ぶ。物書きの宿命についてだ。空想の物語を書く作者にどんなに憧れてもなれない者はある。しかしその逆もあるということだ。真実を書きたくてもそれに着手出来ない者だって片側にいるだろう。どっちが有利?などと僕は思わない。どっちも同じ作者の手がけた作品であることに相違はない。真実であることで困る人も出て来る。指を銜えて見てはいられない真実になるのか?それとも看過出来る程度のものなのか?そこは俺にも推定出来ない。もう一回、俺なりの検証を入れてこれらを吟味したいとそう思っている。どっちにしても作者の存在自体がこの日本ではナッシング。この定位置をゲットしたことが大き過ぎる。これからをイケイケドンドンにする。