yd1019

 僕はグーグルガイドで今年の自分の履歴を見てびっくりする。今年の走行が地球一周のなんと19パーセントまで到達している。逆に僕としてはそんなに走行していない年で一日に20キロ前後で前の年に比べれば乗ってない。それなのに地球一周と言われるととても大きく捉えてしまうトリックに驚く。禁じえない。なぜだろう。ひとつの目安として地球一周が根を下しているという現実だろう。誰だって地球を一周したい。しかしそんな時間も金も体力もないっていうのが万人が置かれた立場だろう。僕はこの前テレビを見ていて驚く。その青年は若い頃、自転車で世界一周し日本にも訪れる。そこでお世話になった家の主人と又出会うことが出来る。テレビの力を思う。パソコンでお互いが再会を果たしたのだ。その青年は家まで招かれて食事も御伴している。そうはいっても五十年もの歳月が重なれば相手の家まで特定することは埋もれたダイヤモンドの原石を鉱脈から探す位、難しい。それが可能になったことに僕は着目する。なんと名字が起因したというのだ。その名字が一軒しか無かった。珍しい故に、家を探し出すことが出来たというのだ。苗字って大事だなってその時僕は思う。しかも、お互いが生きて存命中だったことがなお素薔薇らしい。こんな出会いは絆をすでに超えていると僕なりに命名した。絆鉱脈だ。