am97

 まだまだ日本の中に因縁的妄想はあって、因習にかこつけてこれらは息をしている。封建だって同位だ。しかし昔の稚児の世界やそれを取り囲む大人の世界にはどこか愛情があった。見て見ぬ振りなどなかったを記憶する。そこで俺は過酷だが線引をしなければならなくなる。昔の考えでいる人々を捨て去るようなことには及べない自分が確実に存在する。その存在は温もりがあってもこれまでは力がなかった。なぜだろう。市井に埋もれ、埋もれ火になったとか、そういう単純なストーリーではない。俺は日本人が逆に個人的にも強くなってきた証明だと分析している。外国人の留学生を見るとどこにいても俺は声を掛ける。あれ?この前までレジしていたのに、今は鮮魚部門?って俺は気さくに声を掛ける。なぜ、こんなことに心を砕くようになっていったのか?そこもこれからオープンにして行けると思う。俺が二十代だとそう推定していた女子はなんと三十代でカンボジアから来ていた。そこまで知ると大体予想も出来る。故郷の親御さんに仕送りをしているんだな?って想像してしまう。俺達は日本のみのことを常に考えがちだがそこは根本的に間違っている。世界の中での立ち位置をそろそろ模索してもいい頃・・・。留学生たちには特に声を掛けて頑張るように励ます。それだけでも彼らは歓喜する。息使いも荒くたくましくなってくる。友好とはそういう小さな接触の積み重ねだと思う。