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 姉の週休二日ブログの案はどうやらお釈迦になって、それでようやく目鼻も付いてきたなって僕自身、二日休む案がどうしたものだろうか?って懐疑的だっただけに一応の納まりを見たと思う。撮影だって同じで、今からスクープを取りますけどいいですか?なんて間を置く馬鹿はいない。瞬間を捉えたからこそスクープと呼ばれるし、みんな張り切る場面だろう。その瞬間にしか撮れない映像があってそこに僕も注目する。もっとも重心を置く。その後の所作を各人が問われているのだと思う。プライバシーの配慮も当然で、もっともな話・・・。そこを甘く見てはいけない。なぜならみなが皆公開派ではない。自分の知人だけが見れればいいっていう隠密派も多い。自分のことを全体公開というと大袈裟だし、一般庶民の姿や傾向としては日本人らしいなって僕は好感する。戦後靴下と女性が強くなったと言われるがその典型のような我が家だった。父は中学校の教員室で冷や飯を食い、図書室係で教員生活をまっとうしたが、この異色が僕に感化することは大きい。あまのじゃくの僕は父に常に反発はしていたものの、実際は、父の脛をかじって相当の歳月を暮らした。この御加護をなんに例えればいいのだろう。恵まれた世代だったを思わずにはいられない。父が亡くなって初めて僕は自分の老後を真剣に鑑みる。亡くなって初めて父は頭角を現した。