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 二つの語彙を提出して人生を闊歩していくとすれば僕は儲かるか儲からないか?だ。人によってその語句は様々。一億人間がいれば皆が違うだろう。僕が銭に拘るのも父がパッパラパーだったからだ。およそ考えられないことだが、普通、91歳の老人が無くなればベッドの中敷きの中で一万円が見つかったりはよくあることだ。父の場合、小銭だけで、しかもそれが百円に満たなかった。こんなに好き放題生きた人物は地球上にいまい。父をお手本にしていては大変なことになる!!って若い三十代の頃から心のどこかで祈念。今のホームレス体質を作り上げた。ホームレス体質にあっても預貯金を持っている人々が僕の理想とする人々。もちろん新聞は図書館で読む。姉は全く読まないが僕は新聞が日本の要所を握っていると信じる方だ。しかし新聞でも未来を握ってはいない。これから世の中がどうなるか?そういう論文は一切僕は読まない。予想屋に持ち金すべてを預けるそういう博打は俺には出来ない。人生の糧になるものを攫むということは煎じ詰めれば、己を知る、ということだろう。自分がさほど能力もないのに威張ってばかりの輩たちがきっと己を知ることになるだろう。人の言葉を信じる・・・それこそが博打だ。予想屋に持ち金すべてを預けるなんて・・・。僕は父の金銭交際術を見て、すっからかんになっている死の床を見て、より堅実志向になった。経済面で言うと父は反面教師だった。