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 姉は昨日、実家の持ち主を調べて恐らく伴侶とその書類を一緒に見て意見交換したはずだ。僕はお金を融資されているから本当ならその会社の名前が所有者になるはずが違っている。それは僕も分かっていた。そして姉も一縷の望みをそこで感じただろう。お金を融資してもらったからと言って原本は変わらない。税金滞納で差し押さえた長崎市の所有になっている。元バンカーだった伴侶には即座に浮かんだことが一瞬あっただろう。経験とは水ものではなく、それを立派にこなせば、一流の経験になる。単なる経験だとみんなが思えば、そこが破滅への入口になるだろう。僕もだから浪費しないで暮らしていける。一定のルール、そこでの縛りがなくしてこの現世を上手に渡っていくことなど困難・・・。しかし経験上得た知識をそのまま錆びつかせていくのがどんなに無駄か?そこを意外にもみんながわかっていない。誰だって経験は持っているさ!!と平気で嘯くのなら人生は見事に枯渇する。経験した人々の有益な情報を一般に共有させることが大前提になる。そこでは闊達な質問があって、それに答える義務が生じる。僕らが落ちこぼれと認定されても、おおらかに生きて来れたのはこの国が平和でいい国だったからだ。あえて言う。僕の友達が裕福でもしも悠々自適であっても、僕はそねまない。それに対価するものを得た。そねまないという非力ではない感性だろう。