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 姉がぶさいくに味方なのは僕にも重々理解出来る。姉の鼻を見てみんなが姉を軽く扱った例は枚挙に暇がなく、そういった意味では僕がハンサムだけに不憫にも思う。まともな鼻をもしも神様から与えられていれば?全く違う尋常な人生を送ることも可能だっただろう。鼻がファニー過ぎて人々から小馬鹿にされて小学校の高学年ではハナピーと仇名を付けて呼ばれたが泣き顔ひとつ見せない。全く動じなかった。どうしようもないことで悶もんとしても、全く価値がないとそう姉が諦めていたことは何かを教えてくれる。達観力だろう。専業主婦だったらこの先を普通は化粧などで誤魔化して上手く生きて行くことは可能だったが姉は芥川の小品、鼻に影響を受ける。その作品では逆に主人公は鼻が長過ぎて困っているのだ。難儀している。そこで人生では逆のことが起こりうることを姉は学ぶ。私が鼻は短くてこんなに損をしているのに何て言う芥川の小説家としての試みなんだ?って。鼻にコンプレックスを持つすべての人々にエールを送っている現実にはっとする。こんな経路を辿る小説を自分もいつか手掛けることが出来たらいいな?って。ほんのりした希望を確実に手にする為に原稿用紙を買い込み発奮する。しかしそれだけではダメだろう。どんどん投稿しないと間に合わない。原稿と投稿の関係は鶏と卵の関係に酷似する。