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 僕がこれまで甲子園を観戦して辣腕投手を数々見て来て思うのはやはり等身大をイメージさせる投手に特に親近感が沸く。応援して血眼になっても、鹿児島の神村学園に立ちはだかった荒井大地投手の球が、僕をイメージに赴かせる。決して速くないし、ストレートだって同位。それなのに球に魂が封じ込めてあるのだ。漢振っておこう。球思惟〔たましい〕。この表現は途鉄もなく無鉄砲だ。どこでそれが証明出来る?って言われたら僕にもイメージとして捉えて欲しいとしか言えない。等身大というと、より解り易いかもしれない。甲子園をプロとの懸け橋だとそう捉える人々が多い中、荒井大地が起こさせるイメージは球界を超えているとさえ、僕は感じてしまう。多くのプロモーションがある中、乱立するそのイメージを逸脱するものが存在感だろう。神村学園からは逃げおおせたけど、次の相手にはどうだろう?大地にはどんな戦略が頭の中で犇めいている?その内容が濃ければ濃い程に、僕にもイメージ皆伝が伝わって来る。決して速くないボールに新視野を封じ込め、荒井大地の夏は逝く。誰にとってもあのメジカラが印象深い。そしてエースがどうあるべきか、まだ弱冠十八歳の彼が堂々伝えてくれる。甲子園を僕はこう捉える。若者と大人を繋ぐ架け橋だ。大地に僕から贈ろうと思う。神村学園から逃げおおせたその強運を刻む為に・・・。逃げおおせる 大地の予感 スライダーかな