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 誰もが結婚をスムーズに捉える機会になってくればしめたもので、今までの結婚観に鉄槌を打つものだろうと僕は信次郎の今回の快挙を捉える。子供がすべての起点になるという精神力が想像を絶するプラスアルファーを見せつける。僕達は何を迷っていたのだろう。結婚自体への恐れをすっかり払い除ける力さえ、今回は見せつけられた。何も恐れることなどないのに僕らは結婚をうば捨て山と同位に捉えていたし、束縛という見えない縛りに実は脅威を抱き続けていた。しかしそれもこれも過去の名残に過ぎない。決定権を持つのは一体何だろう。結婚に経済力は必須と言われ結婚の常識としていつも取り沙汰されていた二人の身分。しかし愛し合う二人があればそんなことは三の次であることもはっきり見えて来た。僕にとっての結婚観がしかし目の前に開通した訳ではなくそこがネックといえばネックだ。子供は自分だけが張り切っても出来るものではないし、ましてや相手の一存でどうこうなるものではない。そういう意味でも僕は結婚にまだ、懐疑的だ。金銭のすべてを僕が相手によって握られるのなら結婚は回避するし、しかしかといって放し飼いのような状態も嫌だ。要するに僕はまだ一人でありたい。この感覚をもしも失えば何よりも大切な僕の感性が削がれる危機感にまで発展して行く。